名前も知らぬ君



見ず知らずの暴力団関係者に強引に訪問してから、3日が経つ。
あれから、彼から全く連絡が来ない。
否、忙し過ぎて連絡を取られても対応出来ないのだ。







まぁ、アリスにする義務もないのだが。







「あー、終わった。」


アリスはワープロの前で、手を組み上半身を反らす。

ワープロの画面を見ると、びっしりと文字で羅列されていた。
どうやら、依頼された小説を書き終わったようだ。
背骨がパキパキと鳴りそうな位固まった体を動かし、気持ち良さそうな顔をする。




心身共に楽になったアリスは、ふと3日前の無礼者の事を思い出した。


勝手にやってきては、アリスに“嫁に来い”と言ったあの男。


身なりを見たらハッキリ分かるように、職業は暴力団関係だろう。
もしかしたら、“嫁に来い”というのは冗談かもしれない。


なら、何故その男がアリスをからかう必要があるのだろう?

そして、もし万が一彼が本気なら、何故アリスなのだろう?




組んでいた手を離すと、片手で頬杖をつく。

「誰やったんやろ。」

もう一方の手で、文章を保存する為にキーをポチポチと押していく。


「どっかで、見た覚えがあるんやけどなぁ。」

眉を八の字にして、ウンウンと唸る。
推理作家という因果な商売に就いてるせいか、悩み考えるのは日常茶飯事らしい。














『アリス。』


3日前、彼はアリスを愛おしむように、呼んだ。

―――まるで、恋人を呼ぶかのように。


『お前は俺の嫁になるんだよ。』


彼はアリスに、笑顔で告げた。

―――それを、受け入れてもらえる自信があるかのように。


『性別なんて些細な事だ。なぁ、アリス。俺ん家に嫁に来いよ。』


そう言って、握られた手は暖かくて大きかった。

―――この手の温もりを、私は知っている?















「・・・火村?」


急に頭の中から出てきた名字。
口にした途端、懐かしさと嬉しさが込み上げてくる。

しかし、アリスの周りにそんな名字を持つ人はいない。
アリスは前髪をクシャクシャにした。





「誰やねん、火村って。」





と口では言いつつ、おそらく3日前のヤクザの名字なんだろうな、という気がしていた。










―――何となく、だけど。