さよなら、天使
森下の報告を聞いて愕然となった。
まさか、自分のいない間に真壁組がそんな事をしているとは思わなかった。
そもそも、火村組の組長(火村の父)と真壁組の組長は義兄弟。
火村組を憎む他の組ならいざ知らず、真壁組がそんな事をするとは信じられない。
しかし、それは事実で森下の痛々しい姿がそれを物語っている。
「本当なんだな。」
森下は、コクリと頷いた。
「はい。目的は有栖川さんではなく俺の様でしたが、万が一に備えて有栖川さんの情報は喋りませんでした。」
「真壁組でも時間はかかるだろうが、いつかはアリスの事を知るだろうな。クソッ。」
自分の弱点をよりによって片桐に知られるのは、かなり危ない。
片桐本人とやり合った事はないが、情報だけは耳に入っている。
どんなモノでも利用出来るものは利用する。
それが、真壁組の冷酷な頭脳である。
「真壁組は、一体何がしたいんでしょう?」
「俺が知るか。」
わざわざ組員を拉致するなんて、敵意があります、何か仕掛けます、と言っている様なもの。
真壁組の真意を掴めない火村は苛立っていた。
「そうだ。片桐が、お嬢は何処だと言ってました。どうやら、家を出たようです。」
「お嬢?ああ、あの・・・。」
元婚約者の顔を浮かべ、苦虫を噛んだような顔をする。
あまり元婚約者に対して、好意的ではない様だ。
火村は、吸っていた煙草を灰皿に押し付けた。
「ですが、本当にそれが目的だとは思えません。」
「真壁組に注意しろ。何をするか分からないからな。」
「承知しました。」
森下は一礼すると、組長室から出て行った。
火村は新しい煙草に火を点け一呼吸すると、組長室から出て廊下で叫んだ。
「赤星。赤星はいないのか?」
「お呼びですか、若?」
ひょっこり顔を出した赤星に命ずる。
「真壁組の娘を探せ。出来るだけ早く。」
「・・・それはどうしてですか?若にはもう、有栖川さんが・・・」
婚約中にも興味を示さなかった火村が、今更になってどういう心境の変化だろう。
顔に疑問符を付けた赤星は火村に問うが、素気なく返される。
「お前には関係ない。とにかく探しておけ。」
「分かりました。」
そう言ったものの、赤星は納得出来ずまだ顔に疑問符を付けている状態だった。
マンションのチャイムが鳴り、アリスは玄関に向かった。
「はい。」
「アリス。」
火村の突然の訪問も3回目になれば、もう慣れた。
ドアを開けようとドアノブを回す。
「開けなくていい。このまま話を聞いてくれ。」
アリスは手を止め、火村の言葉を待った。
少し経ってから、火村が口を開ける。
「もう、お前に会えない。」
「えっ。」
突然の言葉に、アリスは驚く。
「すまない。」
「勝手やな。突然俺の部屋に来て嫁になれって言ったり、強引にお前ん家に連れて行かれたり、その帰りに拉致られたり、」
そうだ。
自分は火村に会ってから良い事なんてなかった。
むしろ、損してばかりだった。
でも、
でも、
「会えない。」なんて言って欲しくなかった。
火村の事なんて知らない筈なのに、
他人の筈なのに、
どうしてだろう・・・。
「だから・・・」
「俺は、お前なんて知らん!これ以上俺に付き纏うな。迷惑や。」
火村の言い訳を聞かず、アリスは声を荒げた。
近所迷惑なんて、気にしていられない。
このどうしようもない怒りを、どこかにぶつけたかった。
「そうか。・・・そうだよな、ごめん。」
「謝って済む問題か!俺がどんな思いをしたか、君には分からんやろ。」
「ごめん、アリス。本当にごめん。」
「もう帰れ!二度と来るな!」
勝手に知り合って勝手に別れて、アイツに振り回られるはもうごめんだ。
嗚呼、どうしてだろう。
涙が止まらない。
ドアを開けなくて良かった。
こんな姿見られたら、勘違いされる。
―――君に少しでも惹かれていた、と思われてしまう。
アリスが涙を手の甲で拭いていたら、火村が口を開いた。
「じゃあな、アリス。こんな時に何だが、その・・・」
「小説家になれて良かったな。おめでとう。最初の読者として鼻が高いよ。」
アリスは目を見開いた。
「どういう事?」
頭がぐちゃぐちゃになる。
最初の読者?
違う。
だって、
だって、最初の読者は・・・
「待って、それじゃあ君は・・・」
ドアを勢い良く開けるが、そこに火村の姿はなかった。
辺りを見回せば、走り去っていく後ろ姿が見える。
アリスは、その後を追った。
「火村!」
大声で叫ぶが、その後ろ姿は止まらない。
「火村!待って!」
何度叫んでも、どんなに大声で叫んでも、火村は止まらない。
もう、火村の姿は見えないがアリスは懸命に走った。
「何で、最後に言うんや。阿呆。」
それを彼に伝える手段は、もうなくなった。