思い出だけが君の感触






「何で、今まで忘れてたんだろう。」


アリスは全てを思い出した。



だから、君を知っていた。

だから、君を懐かしく思った。



だから、だから・・・


全ての疑問が、解決された。

それと同時に、あんなに大事な人を思い出せなかった自分に絶望した。












―あれは、27年前。



当時7歳だったアリスは、図書館で読んだ低学年向けの探偵ものの本に感化され自分でも話を作っていた。
とは言っても所詮小学生の書く話だから支離滅裂で、それでも書くことの楽しさを覚えせっせと自由帳に書き殴っていた。
それから、朝も昼も夜も片時もノートを離さず自分の頭の中の空想を書き続けている。

友達と公園に遊びに行ってもそれは同じで、ベンチに一人で腰掛けて自分の理想の探偵を動かしていた。
ふと顔を見上げると、入口の方に見知らぬ男の子を見付けた。
同い年くらいだろうか。
この公園にいるのは大抵同じ小学校の子ばかりで、全く見覚えのないその子にアリスは興味を持った。
ポツリと一人で立ち尽くしている少年は、どこか冷たい目をしている。


「ねえ、君だれ?」


ベンチから大声で話しかけると、その少年は真っ直ぐアリスを見つめた。
烏の羽根の様に黒い髪と、少年にしては鋭い目がやけに印象的だ。


「僕?ひむらひでお。」

「ひでお?ひでお君って呼んでいい?」


ベンチから立ち上がり、火村の元へ近付く。
関西訛りのないイントネーションが不自然で、アリスは火村にますます興味を持つようになった。


「いいよ。君は?」

「ありすがわありす。」

「へえ。きれいな名前だね。」

「本当?」

「うん。きれい。」

「ありがとう。」


生まれて初めて名前が奇麗だと言われて、アリスは嬉しくなった。
こんな奇妙な名前でも、褒められると何だか気恥ずかしい。
胸の奥がドクドクと鳴って、幸せが口から溢れ出しそうな気分だ。


「ありす君は、何してるの?」

「お話書いてる。」


アリスは火村の手を取り、先程までいたベンチに連れて来る。
自由帳を自信満々に火村に見せた。


「どんな?」

「探偵と怪人のお話。今、きかん車の上で赤いサファイアをぬすんだ怪人と探偵が戦ってるの。」

「読んでいい?」

「いいよ。」


火村に自由帳を差し出し、ページを捲る火村を緊張しながら見つめた。
その視線に気付いているのか、火村は平然と中身を読み続ける。



最後のページを読み終え、裏表紙を閉じた火村は小さく溜息を吐いた。
火村が読み終えるまでドキドキしながら待っていたアリスは、息を飲んだ。


「どう?」

「おもしろい。」


自然と火村の顔が綻んだ。
アリスの顔は歓喜に満ちる。


「本当?」

「この続きはどうなるの?」


少々興奮気味の火村に、人差し指を口元に当て答えた。


「秘密。」

「気になるな。」

「本当に?」


自由帳の表紙をしげしげと見る火村に、アリスは食い気味で聞く。


「アブソルートリー」

「何それ。」

「もちろん、ってこと。」


二人はお互いの顔を見合わせ、クスクスと笑った。
何だか、心がくすぐったくて笑わずにはいられない。
アリスは、初めて他人に自分の作品を読んで貰える喜びを知った。

それから、二人は時間の許す限り語り合った。
勿論、テーマはアリスの書いた物語だ。
あそこが良かった、ここはこうした方が良い、そんな話を延々とし続ける。
アリスにとっても、火村にとっても心地良い時間だった。










日が暮れ始め、アリスの門限の時間が近付いて来た。


「また会えるよね。」


火村は、首を横に振る。


「僕、明日は違うところに行っちゃうから、もう会えないかもしれない。」


突然の言葉にアリスは驚き、涙ぐんでしまう。
こんなに気の合う友達は、これまでいなかった。
いつの間には火村は近所にも、幼稚園にも、小学校にもどこにもいない特別な友達になっていた。
アリスは、持っていた自由帳をギュッと力強く握る。


「いやだよ。もっと、ひでお君とあそびたい。」

「ありす君、泣かないで。」


俯くアリスに前を向かせようと必死になる火村だったが、アリスは首を振りそれを拒否した。
アリスの頭を撫でても、頬を持ち上げようとしてもなかなか頭を上げない。
困り果てた火村は、一つの名案を思い付いた。


「そうだ。僕たち、婚約しよう。」

「婚約?何それ?」


思わず顔を上げたアリスは、涙でぼやける視界の中でニコニコと笑う火村を見た。
結婚という言葉は知っていても、婚約という言葉は知らなかったアリスは火村の説明を待つ。


「大人になったらずっと一緒にいられる約束だよ。」

「本当に?ひでお君と一緒にいられるなら、僕婚約する。」


火村も婚約という言葉は知っているが、その内容については全くと言って良い程無知だった。
どんなものかは分からなかったが、目の前のアリスが笑顔になっていたので良しとした。
小指をアリスに突き出し、アリスもそれに自分の小指を絡ませる。


「じゃあ、婚約。」


そして、二人はアリスの自由帳の表紙の裏に「こんやくのやくそく ひむらひでお ありすがわありす」と大きく書いた。
火村はそれを見て、満足気に言った。


「必ず、ありす君をむかえに行くからね。それまで僕のこと、わすれないでね。」

「うん。わすれない。」


アリスも先程とは打って変わって、満面の笑みを零した。





それから年月は過ぎ、約束を誓った自由帳もおそらく押入れの奥に眠っている。
しかし火村は最初の読者であり、正真正銘アリスの婚約者であったのだ。



今アリスは、後悔の海に身を投げ出した。