その痛さが分かるから




火村は、病院の中を歩いていた。
広い病院だが、以前訪れた記憶を元に進んで行く。
ある個室に辿り着き、ノックをせずにそのまま入る。
火村組の若い衆数人がベッドの周りを囲み、そのベッドの中に中年の男性が上半身を起こしていた。


「よう。」


火村は片手を上げ、その男に挨拶した。
男と若い衆はそれに気付き、若い衆は部屋から出て行こうとする。


「ああ、いい。直ぐに帰る。」


しかし、若い衆は折角若がお見舞いに来て下さったのですから、とそそくさと去って行く。
火村は言葉に甘え、男と二人きりになる。


「久しぶりだな。」

「お前がなかなか来ないんじゃないか。」


火村はベッド横の丸椅子に座った。


「誰かの代わりをしなきゃならないんでね。大変だよ。」

「俺の有難さが、やっと分かったか。」


この男は、火村組組長で火村の父親である。
組同士の抗争に年甲斐もなくしゃしゃり出て間抜けな事に三下のチンピラに刺され、ただ今入院中だ。
豪快に笑う父親に、火村は苦笑する。


「言ってろよ。・・・母さんは?」

「もう帰ったよ。お前とすれ違いだったな。」


久しぶりに会う息子の顔を見て上機嫌の父親とは裏腹に、火村は覇気のない顔をしていた。


「どうした?何があった?」

「アリスと別れて来た。」

「お前、あの子を必死になって探してたじゃないか。」


父親はどれだけ火村がアリスを大切に思っていたか、どれ程がむしゃらにアリスを探していたかを知っている。
その驚きを隠せず、個室だとはいえ病院なのに大声を出してしまった。


「真壁組がアリスと森下を拉致した。理由は分からないが、アリスを危険な目には合わせたくない。」

「それに、相手は全く俺の事を覚えてなかったからな。これで良かったんだよ。」


溜息混じりに呟く火村は、父親に言うというより自分に言い聞かせているようだ。
父親は、痛々しい息子をただ見ているしかなかった。


「そりゃ、そうだよな。30年近く前の話だ。覚えている方がおかしい。」


髪を掻き上げ笑う息子の顔をジッと見つめ、一際低い声で言った。


「でも、お前は違ったんだろ?」

「ああ。」

「辛いな。」


火村が真剣だったと知っているから、その辛さがよく分かる。
この道の野郎は、男でも女でも最悪な奴では犬でも良いという奴がいたからそこに疑問や嫌悪感は抱かなかった。
むしろ、そんな淡い初恋をまだ胸に潜めていた息子が微笑ましかったくらいだ。
父親は、自分の職業を初めて後悔した。
自分がこんな職業でなければ、息子をこの道に進ませなければこんな事にはならなかったのに。
そう思うと辛くて堪らなかった。



しばらく沈黙が続き、ようやく火村が口を開いた。


「なあ、母さんはどうしてこんな家に嫁いだんだ?」

「母さんは気丈な人だったからな。それに、俺に心底惚れていた。」

「嘘吐け。」


軽口を叩くと、火村が鼻で笑った。
けして、傷が癒えたわけではない。
だが、少しでも息子の気を紛らわせたかった。


「お前、信じてないな。」

「こんな中年のどこに惚れるんだ。メタボリックそのものだろ。」


はげ頭で肥満体の父親は、密かに影で海坊主と言われる様な出で立ちでメタボリック症候群と言われても仕方のない事だった。


「今はそうかも知れないが、昔は違ったんだ。それこそ、関西一の美男子として名を馳せてたんだぞ。」

「・・・鮫山に聞くぞ。」

「おお、聞け聞け。俺は間違った事は言わないぞ。」


そう言って豪快に笑う父親の横で、火村は呆れたように笑った。
こんなジョークでしか気を紛らわせる事の出来ない自分が、とても苦しかった。
だが、息子が表面だけでも笑ってくれるのがとても心地よい。
火村は、椅子から立ち上がる。


「じゃあな。また来る。」

「今度は、誰かと来い。お前の好い人となら大歓迎だ。」


父親は火村の腰を強く2度叩いた。
その痛さに苦悶し、


「無理だな。」


とだけ言って、部屋を出た。





知ってるよ、と父親は言えずに息子の出て行ったドアをただ見惚けた。