暴れ出すそれぞれの想い




アリスが目を開けると、そこは見知らぬ部屋だった。
白い天井と壁も、フローリングの床も、赤いソファも、掛けられた毛布もどれも記憶にない物ばかりだ。
パニックになり、辺りをキョロキョロと見渡すと一人の男性がアリスに声を掛けた。


「目が覚めたかい?」

「えっ、ここは?」

「朝井小夜子の家さ。俺は同居人。」


そう言えば、昨夜は朝井と飲んで途中から記憶がない。
店の前に置いてくれば良いものの、わざわざここまで運んでくれたのだから有難い。


「朝井さんは?」

「まだ、寝てる。」

「失礼ですけど、貴女は朝井さんの恋人ですか?」

「そうだな、そんな感じかな?」


曖昧な答えが気掛かりだが、人当たりの良い笑顔を浮かべる赤星に、アリスは好印象を受けた。


「食欲はあるかい?」

「いえ、あんまり。」

「無理もない。ここに運び込まれた時、既に寝ていたからな。」

「すいません。お恥ずかしい。」


恥ずかしさから俯くアリスを見て、忍び笑いをする赤星。

「珈琲くらいは飲めるかい?」

「ええ。ありがとうございます。」


台所から両手に珈琲の入ったカップを持って来て、片方のカップをアリスに渡した。
淹れ立ての珈琲は温かく、それだけでアリスはほっとした気分になる。


「君、失恋したんだってね。」

「えっ、いや、・・・朝井さんから聞いたんですか?」

「まあね。」

「相手は?どんな娘?」


赤星は、アリスに探りを入れた。
火村がアリスとその恋人の邪魔をしていると、いう朝井案の真偽を確かめたかった。
それと、単純に自分の上司がどう評価されているのか知りたくなったのもある。
アリスは、綻んだ笑顔を赤星に見せた。


「そうですね。強くて、強引だけど憎めない。それに、ずっと前の約束を守ってくれる人、ですかね。」

「約束?」

「昔、約束したんです。大きくなったら一緒にいようって。でも、俺そんな事すっかり忘れてて。」


先程の笑顔が消え、火村との別れを思い出したのか段々沈んで行くアリス。
痛々しい苦笑を見せられ、赤星はただどうする事も出来ずに静かに耳を傾けた。


「捨てられたと同時に、その事思い出しちゃったんです。それが、とても情けない。」


捨てられた?


そんな話全く聞いてない。
赤星は、アリスに詰め寄りたいのを抑えて話を続けた。


「まだ、その人の事好きなんだろう?」

「・・・はい。でも、俺は二番手だから諦めたんです。」

「二番手?」


どういう事だろう?
火村はアリスを婚約者として選んだんじゃないのか。


「その人には、一番大事に思われてないんです。だから、もう良いかなって。」


じゃあ、一番は誰なんだろう。
てっきり、アリスが本命だと思っていたのにそれすらも嘘だったのか。
赤星は、何が何だか分からなかった。
戸惑いが指先にも伝わり、カップが微妙に振動する。

そう言えば火村に真壁組のお嬢を探せと言われていた事を、ふいに思い出した。



―――真壁組のお嬢様。



赤星の頭の中で、点と点が繋がった。

婚約を破棄した事は、彼の嘘。
そうすれば、火村組を狙う数多の敵から婚約者を守る事が出来る。

アリスを婚約者として発表した事も嘘。
男を結婚相手だと発表すれば、男色家だと思われ他の組から縁談はなくなる。
それに、男同士だから結婚は出来ず戸籍を汚さなくて済む。
本当に結婚したい女性が出て来れば、アリスを捨てればいいだけの事。

きっと、家出した事だけが火村の誤算。
だから、自分に真壁組のお嬢を探させているのだ。
探しさえすれば、朝井案ではないが脅せば結婚せざるを得ない。

全ては本命の女の為に仕組んだことだったのだ。
そう考えれば、全て辻褄が合う。



―――自分は火村に騙された。



実直で誰からも尊敬されていた火村は、とんでもなく策士で人の心を弄ぶ人間だったのだ。
上司に裏切られた事も、こんな簡単な事に気付かなかった自分にも腹立たしい。


「初対面で何だが、君は諦めが良過ぎる。もう少し貪欲になっても良いんじゃないかな。」


心の中で悪態を付きながら笑顔でそう言う赤星に、アリスはまた苦笑する。


「そうですかね。」

「そうさ。」

「そろそろ仕事に行かなくちゃ。じゃあ、ごゆっくり。」


赤星はアリスに背を向き、玄関へと進んで行った。












事務所に着き応接室のソファに座っていると、苛立ちの元凶がドアを開けた。
赤星を見付けると、


「赤星、まだ見付けられないか。」


と、少々気を立てながら言った。
アリスに不本意ながら別れを告げた事が原因なのだが、今の赤星にはそうは写らなかった。
真壁組のお嬢を発見出来ない自分に怒っているのだ、と思っている。


「手掛かりすら見付かりませんね。それより若、何だって今更真壁組のお嬢さんなんて探すんです?」

「俺の大切な人の為だ。」


これが昨日までなら、アリスに何か遭ったのではないかと思うところだが、企みに気付いた赤星には腹黒い悪魔に見える。
朝井の言っていた事も―アリスに他に恋人がいるとは思えないが―頷ける。


「へえ、そうですか。そりゃ、俺も頑張らなくちゃいけませんね。」

「森下にも手伝わせるか?」

「結構です。俺の部下だけで十分ですよ。」


火村は、ただ赤星の部下だけでは大変だろうと善意で言ったのだが、それが赤星をさらに刺激する。
動員を増やすという事は、それだけ早くお嬢を見付けたいという事。
推測を真実だと確信してしまった。
赤星は立ち上がり、火村を横切った。
そのままドアを開き廊下へ出る。


「大切な人ね。」


火村の策士ぶりが可笑しくて、思わず笑いが出た。
嗚呼、分かってしまえば何て安っぽい。


「・・・・・・クソ喰らえ。」


赤星は、そのまま事務所を出て車に乗った。
それを窓の外から見ていた火村は、携帯電話を取り出しどこかへ掛けた。


「森下。お前のところの若いのにも、真壁組のお嬢を探させろ。」

『分かりました。』


受け取った森下は、それは赤星さんに任せてたんじゃないのかな、と思いつつも直ぐに若い衆を呼んだ。












真壁組の娘を探しているのは、何も火村組だけではなかった。
真壁組も必死になって娘を探している。


「まだ見付からないのか!!」


いくら金をつぎ込んだのか分からない立派な組長室で、真壁は片桐に向かって憤慨していた。


「片桐、お前は一体何をしている!」

「申し訳ありません。直ぐに探し出します。」


真壁に雷を落とされ、形だけは頭を下げる片桐。
しばらく経って組長室から応接室に来た片桐は、来たと同時に大きな溜息を吐いた。


「お疲れですね。」

「ああ、あの方ももういい加減年なんだから引退したら良いのに。」

「そんな事を仰るのは、片桐さんだけですよ。」


自分の部下に労いの言葉を掛けられ、苦笑する。
応接室のソファに腰を掛け、行儀悪くテーブルに足を置く。
部下は片桐に珈琲を差し出した。


「全く、馬鹿な策だね。成功する確率なんて無に等しいのにさ。」


珈琲を受け取り、啜る。
香ばしい味が口の中に広がり、ほんの少しだけ和らいだ顔をした。


「お嬢を探して、火村組にお嬢と謝罪?その時、絶対火村組の若様はお嬢にまた惚れるはずだ?」


つまり火村組の若頭、しかも火村の人望が厚い人を拉致し真壁組の娘がいなくなった事を火村に印象付ける。
その後娘を見付け、あの時は大事な娘だからといって突然拉致してすいませんでした、と娘を連れて行って謝る。
その時に娘を一目見た火村は、娘の美貌と御侠な性格を気に入ってくれて婚約も元通り、という杜撰な計画だったのだ。

片桐はその計画を聞かされた時。頭を抱えた。
いくら、真壁の考えた計画だからといって、実行するのも馬鹿馬鹿しくなった程だ。


「そうじゃなくても、真壁組は仁義がある、よくぞ謝ってくれた、と火村組での株が上がり待遇される?」


参謀の自分に任せてもらえれば、もっと良い案を考えられたのにと真壁を恨む。
それこそ、関西一の火村組に待遇される手ならいくらでもあるのに、と悔やまれてならない。


「寝言は寝て言え。大体、婚約を解消してきたのは向こうじゃないか。」


片桐は、真壁の計画をぼろくそに非難した。
近くにいた部下も苦笑するしかない。


「年寄りは、計算が大雑把だから困る。いや、そもそもこれは計算じゃないな。」


もう一度珈琲を啜り、ぼそりと呟いた。


「僕もそろそろフリーになろうかな。」

「足を洗うんですか?」

「まさか。僕は表の職業に向かないよ。」


突然、片桐の携帯電話が鳴った。
通話状態にして耳を当てると、部下の焦った声が聞こえた。


『片桐さん。お嬢の居場所を見付けました。』

「御苦労様。それで、場所は?」

『それが・・・赤星のマンションです。』

「赤星?」


全く聞き覚えのない人物に疑問を抱いていると、部下がすかさず答えた。


「火村組の若頭です。」

「ふーん、火村組の・・・。」


部下にまだ見張る様に指示した片桐は電話を切り、近くの部下に言った。


「ねえ、誰か火村の若様の女知らない?出来れば、若様のお気に入りが良いな。」

「調べさせましょうか?」

「お願いするよ。」


そう言うと、部下は誰かに電話した。
その間、片桐は珈琲を上機嫌で啜る。
すると、別の部下が応接室に現われた。
ここのところ、真壁に連日怒られていた片桐の嬉しそうな顔を見るのは久し振りだった。


「楽しそうですね、片桐さん。」

「分かる?だって楽しいからね。」


部下は、上司の綻んだ顔を見て嬉しくなった反面、また何か悪い事を思い付いたな、と思った。