罠を仕掛けましょう




片桐はソファに座り、右手で書き物をしていた。
真っ白の縦書きの便箋に筆を走らせる。
その顔は笑いを堪えるのに必死で、肩は微かに震えていた。
それを妨害する様に、片桐の部下が大きな音を立てて扉を開ける。


「駄目です、片桐さん。全く見付かりません。」

「ただ、女を探せって言っただけなのに、君達は無能なの?」


何とも情けない報告を聞き、冷たくあしらう。
部下は、眉を八の字にして必死に弁解した。


「違いますよ。火村に女がいないんです。」


片桐が顔を上げ、怪訝な顔を見せた。
部下は、手振りを大きくして説明する。


「あちこちの風俗やら何やらに行ってみたんですけどね。贔屓にしてるホステスすら、見付かりませんでしたよ。」

「男は?」

「へっ?」

「火村の若様がゲイあるいはバイだって可能性は?」

「えーっと、その、」


考えもしなかった言葉に、どう言い訳をしようかと目を泳がせる。
片桐の冷たい視線が、部下に突き刺さった。

そこへ、別の部下が現れた。

「駄目です。男娼も考えましたが、それも居ません。」

「若様は不能か。それとも、犬が恋人かな。」


あまり想像したくないジョークを言うと、二人の部下は苦笑いを浮かべた。
また、片桐の部下が報告へやって来た。
前の二人とは違い、この男は静かに扉を開け、ヤクザとは思えぬ程丁寧にお辞儀をした。


「失礼します。」


片桐の元に近寄り、低い声で淡々と話す。


「片桐さん、居ました。どうやら、火村の若様は素人に手を出しているそうです。」

「素人?」

「ええ。何でも素人の小説家を婚約者にする、と組中に言い触らしているらしいです。」

「何で、お前達は火村組の情報を掴めなかったんだ。」

二人の部下を睨むと、二人は気まずそうに目を逸らした。
報告を終えた部下は、そんな二人の同僚を見てクスリと笑う。


「それで、その小説家は今どこにいる?」

「捜索中です。」

「玉の輿の婚約者様のデータが欲しい。調べてくれ。」

「分かりました。」


最後の報告者は、また深々とお辞儀をして火村の婚約者を調べに行った。
残った部下は、片桐に聞こえぬくらい静かな声で密談をしている。


「片桐さんは、一体何をするつもりなんだろう?」

「さあ?でも、片桐さんだからな。とんでもない事を考えているんだろうよ。」


ひそひそと話す二人に、いつの間にか出掛ける準備を終えていた片桐が声を掛ける。


「出掛けるよ。」

「どちらへお出掛けですか?」

「お嬢様のところへ。」


子どもの様に楽しげに笑う片桐に、部下二人はお供した。
















丁度、昼頃に起きた朝井は、リビングでソファに座る後輩作家の後ろ姿を見付けた。


「アリス、おはよう。」

「おはようございます。って言っても、もう昼ですけどね。」

「まあね。」


苦笑する二人。
朝井は、ソファに深く腰を降ろす。
どうやら、アリスは赤星が出掛ける時に一緒に帰るタイミングを失っていた様だ。
尚且つ、鍵を掛けていない部屋に女性一人を置いて行くのに、抵抗があって今までここにいたらしい。
朝井はそれを聞いて、別に良かったのに、と思わず笑ってしまった。


「昨日はすいませんでした。ご迷惑を掛けてしまって。」

「気にしないの。お互い様でしょう。」


朝井の暖かい言葉に、自然とアリスの顔も綻ぶ。


「ねえ、アリス。貴方達の邪魔をしてるのって火村でしょ?」

「えっ。」


朝井の笑みが消え、心配そうにアリスを見つめる朝井。
アリスは、突然の言葉に何も言い返す事が出来なかった。


「昨日、学に、ああ同居人の名前ね。そいつに聞いたの。火村組の二代目が、貴方を婚約者に無理矢理したって。」


アリスは、心底驚いた。
確かに、強引だったけどそれは何の関係もない。
それとは違うところに原因があるだが、朝井にどう説明すればいいのか分からなくて黙っていた。
でも、親身になって心配してくれる朝井が、今の自分にはとても嬉しかった。

アリスが黙っている事が、自分の推測の決定的な証拠だと思った朝井は、アリスに詰め寄る。


「そうなのね。それで、貴方と恋人は苦しんで・・・」

「違うんです。火村は悪くないんです。そりゃ、無理矢理でしたよ?無理矢理だったけど・・・」


首を横に振り、朝井の言葉を訂正する。
火村以外に婚約者もいなければ、恋人だっていない。
朝井が何か勘違いしている事は、容易に分かった。


「でも、アイツを嫌いにはなれないんです。むしろ、今でも好きなんです。」


気持ち悪いですよね、と力なく笑うアリスを朝井はただ見ている事しか出来なかった。


自分が酷い勘違いをした事への詫び。
傷付いたアリスを慰める言葉。
これからアリスはどうしたいのか、という問い。


全てが彼女にとっては重要で、どれから話せば良いのか迷っていた。


「アリス・・・。」


口を開いたと同時に、部屋のインターホンが鳴る。


「はーい。待っててね、アリス。」


朝井が立ち上がり、少し経ってから朝井の短い悲鳴声が聞こえた。


「朝井さん?」


アリスは急いで廊下に出た。

すると、そこに居たのは忘れもしないあの顔。





―――真壁組の片桐だった。





後ろには、部下らしき男二人と気を失った朝井がいる。


「おや?貴方は確か、森下君の飼い主さんですね。また逢えるとは思ってもみませんでした。」


胡散臭い笑みを浮かべ、アリスに近寄る片桐。
片桐が一歩、また一歩進む度、アリスは後ずさりをする。
静まり返る空間に、緊張感が走る。


「そんなに怖がらなくても。」


アリスは息を飲んだ。
どうやって、片桐から逃げられるか。
それだけを考えていた。
リビングのドアに、後数十センチで届きそうなくらいまでの所に来た。
それまで、片桐とアリスの攻防を見ているだけだった部下が口を開く。


「片桐さん。」

「彼も招待しましょうか。」


それを合図とし、片桐の部下が素早くアリスを捕獲した。


「ちょっ・・・何を・・・。」


抵抗する間もなく、アリスは後ろ頸に手刀を入れられ気絶する。


「お客さんが増えましたね。嬉しい限りです。」


ニコニコと笑う片桐は、リビングのドアを開けた。


「赤星君にはお嬢が世話になりました。お礼に僕のライターでも、プレゼントしましょうか。」


そう言って、胸ポケットから取り出したジッポライターを投げた。
ライターは鈍い音を出し、テーブルの下へ潜り込む。


「あとは、これかな。」


テーブルの上に置いたのは、先程片桐が書いた便箋と分厚い封筒だった。


「気に入ってもらえるかな。」

「勿論ですよ。」


二人の部下は笑いが止まらないらしく、度々後ろからくすくすと笑い声が聞こえる。


「火村組にリークしろ。『赤星学が真壁小夜子を匿っていた』と。どうせ、奴らもお嬢を探している筈だ。」

「畏まりました。」


片桐は、口角を上げて静かに勝利を確信した。








「やっと、貴方との約束を果たせそうです。」