偽物の裏切り




森下が片桐の流した情報を掴むのに、長い時間は掛からなかった。
火村組の事務所に森下が着いた時には、息は絶え絶えになりうっすらと額に汗をかいていた。
ここまで急いで来た事は、簡単に分かった。
膝に手を置き、途切れ途切れの言葉で火村に報告する。


「若。真壁、組の、お嬢様が、見付か、りまし。た。」

「場所は?」


唾を飲み込み、息を整える。


「それが・・・赤星さんのマンションにいたそうです。」

「赤星の?赤星がお前より先に見付けて、保護していたという事か?」

「いいえ。それが、その、」


言い淀む森下に、火村はイライラした口調でせっつく。


「何だ。早く話せ。」

「赤星さんは、最低でも半年以上真壁組のお嬢様と同棲しています。」

「それは確かか?」

「はい。マンションの住人に聞きましたので、確かだと思います。」


情報を聞いた森下は、情報の信憑性を確認する為に住人に聞き込みをした。
住人もこんなに爽やかな青年が、ヤクザだとは夢にも思わなかっただろう。
スラスラと赤星と朝井の情報を話してくれたので、捜査自体は簡単だった。
火村は苦々しい顔で立ち上がると、煙草を取り出す。


「案内しろ。」

「どこへですか?」

「赤星のマンションだ。」

「ですが、窓から部屋を見た限りでは、もうお嬢様は居ませんでした。」

「そんな事、どうでも良い。」


一回吸っただけの煙草が、乱暴に灰皿に押し付けられる。
火村の顔は怒りに満ちていた。
ギリギリと歯軋りする音が、森下にも聞こえる。


「それより赤星が、俺を裏切っていたかが問題だ。着いて来い。」

「はい。」


森下が今まで見た事のない、火村のあの形相。
今はただ、この男の言う通りにしなければいけない、と本能がそう言っていた。


「鮫山。」

「何でしょう?」


怖い顔をした火村にビクともせず、普段通りに話しかける鮫山。


「赤星を探して、ここに連れて来い。」

「分かりました。若が帰って来る頃には、必ずここに連れてきましょう。」

「頼んだ。」


鮫山にそう言うと、ドアを荒々しく開けて外へ出た。
















森下に案内され、赤星のマンション前に着いた火村はまだ機嫌が悪かった。


「ここか。」


ドアに近付くと、呼び鈴を連打し五月蠅い電子音が何度も鳴る。
森下は、弱々しく火村に注意した。
あまり逆鱗に触れたくもないが、近所迷惑になるのも森下が望むところではない。


「鳴らしても、留守ですから意味無いですよ。」

「やれ。」


呼び鈴連打は止めてくれたが、代わりに顎をしゃくって森下に何かをする様に促した。

「何をですか?」

「お前の好きな錠前だろう。好きなだけ壊せよ。」


煙草に火を吐けながら言う火村に、森下は困った表情で答えた。


「貴方にお仕えする時に、足を洗いました。」


確かに、火村に逢う前は鍵を壊す事を楽しんでいたが、今は違う。
今は火村組の若頭として、火村に誠心誠意仕える身なのだ。
昔の自分とは立場も違うし、ブランクもある。
そんな自分に鍵を壊せとは無体な話だ。


「嘘を吐け。じゃあ、ここに入ってるのは何だ?」

「ご存知だったんですね。」


火村は、森下の胸ポケットを突いた。
中には昔からの森下の相棒が入っている。


「分からないわけないだろう。」

「ですが、本当に」


無理なんです、と森下が言う前に火村が言葉を遮った。


「やれ。俺は本気で言ってるんだ。それとも、拳銃出してドアノブに弾ブチ込むか?」

「それじゃ、ドアノブが大破するだけで鍵なんて開きませんよ。」


小さく溜息を吐いて、森下は仕方なしに昔の相棒を取り出した。








ブランクを感じさせる事はなく、あっという間に鍵が開く。
火村は、ドアを開けるとドアというドアを片っ端から開けた。
しかし誰も居ない部屋に用はなく、辺りを見ただけでそのまま閉める。
まるで、物色する泥棒の様だ。


「若、土足で他人の部屋に上がらないでください。」

「元泥棒が何を言ってる。」


後を付いて来た森下に小言を言われるが、お構いなしだ。
リビングのドアを開け、二人の目に入って来たのはテーブルにある分厚い封筒と白い便箋だった。


「若、それは・・・。」


火村は、便箋を手に取り森下に聞かせるように全文を読み上げる。


「『赤星君へ。』」

「『もう少しで我々の計画は成功するので、君はしばらくこの金で外国に遊びに行くといい。』」

「『後は、我々に任せてゆっくり羽根を伸ばしなさい。大丈夫。君のした事は無駄にしないよ。』」

「『長年、君には本当に世話になった。また連絡する。』」

「『真壁聖一』」


最後の名前を読むと、火村はその便箋を強く握り締める。
森下は、あまりの出来事にただ立ち尽くすしかなかった。


「信じられません。本当に、赤星さんは真壁組と通じていたのですか?」

「この癖字は見たことがある。間違いなく真壁の字だ。」

「それに、ほら。」


火村はしゃがんでテーブルの下に手を出し、片桐のライターを拾う。
そして、側面を森下に見せた。
そこには、印刷されたイニシャルが書かれている。


「M.K。片桐光雄・・・。」

「ここに片桐が来た証拠だ。くそっ。」


片桐は、真壁の右腕である。
ここに真壁の代わりに来たとしても、何の不自然もない。
それに、鍵が掛かっていたという事は朝井が自主的にこの部屋の外へ出た可能性が高い。
つまり、ここに朝井が居た事は真壁組が希望した、或いは承諾した事であるのだ。
二人はこの証拠から、そう推測してしまった。

火村は手紙と分厚い封筒を持って立ち上がり、リビングを後にした。
着いて行く森下は火村に問う。


「どちらへ?」

「帰るんだ。赤星に話を聞かなきゃならない。」


森下は未だに先程の出来事が信じられず、ただ火村の後を追う事しか出来なかった。