艶道に咲く花二輪




火村と森下が足早に帰ろうとすると、後ろの方でガタリと物音がした。
気になってその音がした部屋の前まで戻ってみる。
鍵は掛かっていなかったので、興味本位でドアを開けてみる。
すると薄暗い部屋の中に、人影を見た。


「・・・アリス。」


見ると、そこには愛しい人が縛られて床に体育座りで座っていた。
火村は、目を丸くした。
驚いたのは、火村だけじゃない。
アリスだってそうだ。
片桐に拉致されて、ドアが開いたと思ったら火村が立っている。
もしかしたら、自分が逢いたいから見せた幻影なのではないかと、思ってしまった程に吃驚した。
二度と会えないと思っていた人に、こんなにも早く会えるとは思えなかったので顔が惚けてしまう。


「大丈夫か?」

「ああ、平気。」


火村はしゃがみ込み、アリスの縄を解いた。
手首と足首の縄はきつく締められていて、痛々しい跡が出来ていた。
火村は、それをじっと見つめる。
自分のせいでこんな風になってしまったと、心の中で自身を責める。


「ならいい。家まで送ろう。」


アリスの顔を見る事が出来ず、背を向けてしまった。
その後ろで、アリスがどんな顔をしているのか気付かないままで。
















車の中は、静寂に包まれていた。
運転している森下は、後部座席の二人が作る居心地の悪さがヒシヒシと感じ取れ心配せざる得なかった。


「なあ、火村。」

「何だ。」


アリスが突然口を開くと、火村がぶっきらぼうにそれに答えた。


「大きくなったら一緒にいよう、って約束守れんかったな。ごめん。」

「アリス・・・。お前、思い出して、」

「うん。君のおかげで思い出した。ありがとう。」


アリスの視線は窓の向こうだったが、その横顔は心なしか笑っている様に見えた。
火村は、ただアリスの顔をジッと見つめる。





こんなに愛しくて、

こんなに近くて、

こんなに側にいて欲しいのに。

なのに、それは叶わない。
誰のせいでもない。

「欲しい、欲しい。」と、駄々をこねるには、あまりに大人過ぎた。
自分が欲しいものを諦めるには、あまりにも子供過ぎた。





―――ただ、それだけの事なのだ。





胸の奥がギュッと縮む感触がする。
苦しくて、辛くて、それでいて甘美な痛み。
このまま、看取られて死ねるならそれでも良いと思える位だ。


「でも、遅かったな。もう少し早かったら、君と、君と、」








―――ちゃんと、婚約者同士になれたかもしれなかったのに。








アリスがそう言いたいのは、分かっていた。
でも、それはアリスのせいじゃない。
真壁組を恐れ、自分からアリスを離した己の責任。
自分と一緒にいては、あまりにもアリスが危険だと悟ってしまった自分のせい。
もっと、盲目でいられたらと悔やんでしまう。


「俺は、お前が生きてちゃんとお前の好きな物を書いてれば、それだけでいい。一緒にいられるなんて、所詮夢だったんだ。」


アリスに語るというよりは、自分に言い聞かせる。
俯く火村は、アリスがこちらを向いている事に気付いていない。


「俺とお前は違い過ぎる。俺はこんなに汚いし、お前は俺には綺麗過ぎた。」






「アリス、お前に似合う綺麗な嫁さん貰えよ。」






強がりの言葉を述べてみても、何も変わらない。
むしろ、寂しさと苛立ちがグルグルと腹の中を駆け巡る。
アリスは、首を縦に振った。


「そんなん、いらん。俺は一生独りで、暮らしていくから。火村こそ、一応跡取りなんやから早く嫁さん貰い。」

「俺だっていらねえよ。俺は・・・アリス以外欲しくない。」


喉の奥に忍ばせた本音をついに吐き出してしまった。
アリスは、火村の手を取り両手で強く握る。


「火村、俺だって一緒や。でもな、」


アリスの否定的な接続詞の後を聞く事はなかった。
なぜなら、もう二人の乗る車はアリスのマンションの駐車場の中だった。


「じゃあな。」


名残惜しそうに手を離すと、アリスはドアを開けて外へ出た。
すると、それと同時に黒い車が駐車場へ入って来た。
その車は窓を開け、ゆっくりと銃口を伸ばす。


「危ない!火村!!」


短い銃声と同時に、アリスが天を仰いで崩れ落ちる。


「アリス!!」


火村は、車から飛び出しアリスを抱き寄せた。
その間に、また鳴り響く銃声。
今度は、火村も背中を撃たれて倒れ込む。
森下は急いで二人の元へ走ったが、そこには既に黒い車はなかった。










走り去る車の中では、真壁が高らかに笑う。


「ハハッ・・・やった。やったぞ。私は、火村を殺したんだ。」


火村組に睨まれ、既に組壊滅も時間の問題だった真壁にとって、最後の賭けだった。
まさか、あんなに上手くいくとは思わなかった。
これで真壁組も安泰だ。
そう、確信していた。


「火村を殺したんだ。ハハッ、ハハハッ。」


狂った様に笑う真壁に、運転していた部下は不気味さを感じた。














茫然と立ち尽くす森下。












アスファルトの上に、流れる血液の道。



艶やかな赤の道の上で、二人は寄り添って目を閉じた。