03 冥福を祈ります


火村が身支度をしていると、愛娘・可憐がひょっこりとドアの外から顔を出し、火村を呼んだ。
「パパ。」
「どうした、可憐?」
火村は、可憐を手招きして自分の傍に寄らせた。
可憐は、駆け足で近づくと火村に突進して、火村を抱きしめる。
そして、火村の顔を見上げながらこう言った。
「あのね。可憐ね、ママに会いたいの。」


アリスは、子供が出来てからも一人大阪のマンションで執筆していた。
なので、可憐は実質北白川の火村の下宿で、―火村ではなく―時絵さんに育てられたといっても過言ではない。
いつもは、週末になるとアリスが京都まで可憐―おまけに火村―の為に京都まで来る。
だが、最近はアリスが〆切に追われて忙しくなり、そして3日前にアリス自身がもうこの世にいなくなったので―死体はまだ警察署にあり、葬式もあげていない。―可憐とアリスは会えなくなっていた。

「・・・ママはお仕事が忙しいから、お仕事が終わってから行こうな。可憐は、もう大きいからその位我慢出来るよな?」
いずれ分かってしまう嘘だが、今の火村に娘にアリスが亡くなった事を告げる事は酷である。







―――火村自身、まだアリスの死に戸惑っているのだから。







「うん。ママ『シメキリ』と戦ってるんだもんね。可憐、ママのお仕事終わるまで我慢する。」
可憐はニッコリと火村に向かって笑いかける。
目元がとても似ている我が子の顔に、愛しい恋人の面影を見た。





もう、ここにはいない人。
互いに死ぬまでの愛を約束した彼は、もうここにはいない。





「・・・偉いな、可憐。」
火村は、クシャリと可憐の頭を撫でる。
「えへへ。」
父親に褒められて、満面の笑顔で火村を見る可憐。






―――それがあまりにも、アリスに似ていて・・・。






火村は膝を折り、我が子をギュッと抱き締めた。
「・・・本当に偉いな。」
顔を可憐の肩に埋め、抱き締める力を強める。
「パパ?」
そんな火村の行動を奇妙に思った可憐は、父親を呼んだ。
「どうしたの、パパ?悲しいの?お腹痛いの?」

父親を心配する可憐の声で我に帰ったのか、肩から頭を離した。
「何でもない。何でもないんだ。」
「パパ・・・。」
「何でもない」と言った火村の顔は、とても切なげで悲しくて。
可憐はますます不安になった。


「本当に何でもない・・・。」

こちらが見てられない程の、痛々しく笑う父親の顔。
可憐が今まで一度も見た事のない顔だった。


「あのね。可憐ね、幼稚園でかけっこ一番だったの。」
「可憐?」

突然の言葉に戸惑う火村。
呆気に取られている火村に構わず、喋り続ける可憐。

「それにね、お使いに行けるようになってね。それに、それに・・・。」
一生懸命に何かを伝えたい娘の真意を、火村は読み取れずにいた。
「可憐?何が言いたいんだ?」
我が子に問う。

「えっと・・・可憐、大きくなったからえっと、うんと・・・。」
言葉を上手くまとめられない可憐に、火村が笑いながら救いの手を差し伸べた。
「パパを励ましてるのか?」
「そう。可憐、大阪のママの代わりにパパを励ましてるの。」
えへへと、照れくさそうに、しかし誇らしげに笑う娘の頭に、ポンと手を乗せる。



「ありがとな。」
「うん。どういたしまして。」
ふと、火村が壁掛け時計を見ると、針は8時を指していた。
「ほら、可憐。幼稚園に遅刻するぞ。」

火村は、近くにあった可憐の黄色いカバンを渡す。
「パパだって、大学に遅刻しちゃうよ?」
「パパは良いんだよ。」
ジャケットの袖を通しながら、娘に向かって言う。
「ダメだよ〜。だからママに『不良教授』って言われるんだよ。」

『不良教授』。
それは、2年前に教授になったにも関わらず、休講はするわ、フィールドワークで無茶するわの火村に付けたアリスなりの皮肉。





「あかんなぁ、君。そんな事やから『不良教授』って言われるんや。」





―――もう、そう言いながら困った様に笑う人はいない。





クソッ。誰が不良だよ、馬鹿アリス。・・・ほら、行くぞ可憐。」

まるでアリスに言われた様な感覚になり、可憐に聞こえない程の小さな声で呟く。

「うん。」
「あら、もうお出かけですか?」
隣の部屋にいた篠原未亡人が、顔だけを出しながら火村親子に尋ねた。
「ええ。可憐を幼稚園まで送っていきます。多分、迎えにも行けるでしょう。」
「そうですか。二人とも、いってらっしゃい。」
篠原未亡人は、手を小さく振りながら見送る。



「「いってきます。」」

その後、あのオンボロベンツで可憐を幼稚園に送っていった火村は、大学へ行かず府警に向かった。





最初で最後、自分の為でなく、愛しい人の為だけにこの事件を解くために。








それが、唯一の弔い。