09 遺骨を抱える手








「やっと・・・やっとアリスに逢える。」








火葬も終わり、後は墓にアリスの遺骨を入れるだけとなった。


親戚一同、堅苦しい葬式に疲れ皆思い思いに休憩を取っている。
そんな中、アリスの母親は、窓の外をジッと見つめている火村に気付いた。

火村の表情は、とても暗い。
アリスの母親は、火村に近付いて声を掛ける。

「火村君、どうしたの?」
「いえ。何でも・・・。」

そう言った火村の声は重く、ますますアリスの母親は心配になる。

まだ、アリスを失った悲しみが癒えてないのだろうか。

「火村く・・・」



アリスの母親が話し掛けようとした瞬間、火村の目が見開いた。


顔には、困惑と驚愕の色がうつる。


何かを見付けたのだろうか。
途端に、火村はドア目掛けて走り出した。
アリスの母親は驚きながら、ドアのすぐそばの火村に大声で尋ねた。

「どこ行くの?」

すると、火村は

「すぐ戻ります。それより、可憐を探してくれませんか。さっきから姿が見えないんです。」

と言って―アリスの母親の返事も聞かず―外へ飛び出した。


「・・・ええ、分かったわ。」


アリスの母親は呆気に取られながらも、そう返事した。

ふと、窓の外を見るとフードを深く被った男がこちらを向いて笑っている。
アリスの母親は、その男に気味悪がりながらも、可憐を探す事に専念した。









―――まさか、その男が自分の息子の生命を奪った張本人だと知る由もなかった。









火村は走った。

アリスに、そしてここにいる人達に、奴を近付けてはならない。
火村の頭の中で、危険信号がガンガン鳴った。


―50台位収容出来る程の―広い駐車場の真ん中で彼に話し掛けた。

彼は、初めて取調室で会った時と服装も髪型も何も変わっていない。
あの時と全く同じ出で立ちで、火村の前に立った。
変わっていると言えば、フードを被っている事位だろうか。


「何しに来たんです?貴方は、拘置所にいる筈だと思ってましたが。」

フードを深く被り、顔を隠した彼の口元が笑った。

「決まってるでしょう?有栖を返して貰いに来ました。」

当然の様に言い放つ彼に、火村は眉を潜める。

「わざわざ拘置所を抜け出して?生身でない、死体のアリスを?」

信じられないと言わんばかりの口調で、火村は彼に言った。
それが皮肉だと気付かず、彼は真面目に答える。

「ええ。有栖は僕の傍にあるのが相応しい。そう思いませんか?」
「遺族の元に帰すのが、普通だと思いますが。」

火村はキャメルをくわえ、胸ポケットのライターで火を点けた。
火村には彼の口調、言い分、ひいては存在自体が目障りで、煙草でも吸っていないと、彼を殴り殺してしまいそうになる。

「だったら尚更だ。僕は有栖の恋人です。その権利位あるでしょう。」
「・・・分かりました。骨の1つ位、差し上げましょう。」

もちろん、嘘である。
アリスのどの骨だって、彼に与える物は何一つない。
火村はそう思っている。



「・・・骨?」

彼の声色が変わった。

「不満ですか?」

火村は、無理矢理口角を上げる。
すると、彼から予想外の反応が返ってきた。



「まさか・・・まさか、有栖を燃やしたんですか?」

声に困惑の色が見える。

火村は、淡々と言ってのけた。

「当然でしょう。火葬は終わったんですから。」

葬式したんだから、普通は考えれば分かる事だろう。
火村はそう思いながら、また精神安定剤―早く言えば煙草―を吸う。



すると、彼が地に膝を付き、頭を抱える。

「なんて・・・なんて事をしてくれたんだ!!僕の有栖が、骨になるなんて・・・。有り得ない。有り得ちゃいけないんだ。」

頭を振り、まるで人類最後の日が訪れたかの様に絶望する彼に対し、火村はまた冗談を言い続ける。


冗談でも言っていなければ、この男に対する憎しみと嫌悪でおかしくなりそうだった。

「今から、骨を取りに来ますか?」


彼は頭を上げ、火村を罵った。
「何言ってるんだ!!君は馬鹿じゃないのか!!有栖は帰ってこない。もう終わりだ。僕の計画は滅茶苦茶だ・・・。ずっと、ずっと有栖に傍にいてもらう筈だったのに。君のせいで、もうそれすらも叶わない・・・。」








自分勝手で、
妄想と現実が分からず、
まるで自分だけが、悲劇のヒーローの様に振る舞う彼。








苛立った火村は地面に煙草を投げ、自分の靴で火を消した。



「・・・自分の妄想に浸かって、それに赤の他人を巻き込んで、楽しかったか?」


彼が一瞬止まった。
火村を見上げる。



「な・・・に?」

「自分の妄想の中のアリスを勝手に作って、勝手に殺して、挙げ句の果てには、ずっと傍にいてもらう?ハッ、冗談じゃない!!ふざけるのもいい加減にしろ!!アリスはお前を愛しちゃいなかった。全てはお前の頭の中の妄想なんだよ。」

火村の罵倒に、彼の顔が引きつる。



「何を言ってる・・・。僕は有栖に・・・。」

火村の鋭い眼が、彼を捕らえて離さない。













長い間浸かっていた妄想の沼から、彼を引き上げる時が来た。
だが、それは彼にとって信じがたい真実だろう。














「思い込みだ。アリスに一度でも面と向かって“愛してる”と言われたか?」


「・・・違う。有栖は僕を・・・。嘘だ・・・。嘘だ・・・。」

彼は耳を塞ぎ、頭を振り続ける。
涙を流し、事実から目を背ける。









彼にとって、“有栖川有栖”は生きる糧。
愛し愛される唯一の存在だった。


“有栖川有栖”を愛す事で、
“有栖川有栖”に愛される事で、
彼は生きていたと言ってもおかしくない。











しかし、それが崩れる。
1人の男によって。

有栖と彼を阻む者。
邪魔する者。





「恋人同士でも何でもない。お前はただの殺人者だ。」

火村は怒りに身をまかせ、彼を罵り続けた。
ずっと抑えていた怒り・嫌悪・憎しみが溢れ出る。




―――アイツのせいでアリスは殺された。
―――コイツの単なる妄想のせいで・・・。










「嘘だぁぁぁぁぁ!!!!!」






―――殺さなくては。
この男を殺さなくては、自分と有栖の世界が壊される。







ズボンの尻ポケットに入れていた拳銃を構え、躊躇せずに撃った。














銃声が辺りに大きく鳴り響いた。






「おい、今の・・・」

アリスの父親と数人の親戚が、外に出て来た。

駐車場へ行くと、血を流してうつ伏せに倒れている火村が見えた。
そしてその近くには、拳銃を持って、狂った様にブツブツと独り言を言う彼の姿があった。



アリスの父親には一体何が起こったのか、全く分からなかった。

「あなた、一体何が・・・。」

アリスの母親は可憐を抱っこしながら、アリスの父親の元へ向かった。
アリスの父親は声を荒げた。

「お前と可憐は来るな。おい、誰か警察と救急車を呼べ!!」






その場にいた親戚が、急いで警察を呼び彼は再逮捕された。
既に彼に自我はなく、パトカーに連行されてもなお、意味の分からない言葉を呟いていた。



彼は火村に「自分と有栖の世界」を壊され、狂ってしまった。







同時に救急車も呼ばれたが、救急隊が来た時には既に火村は・・・







死んでいた。







穏やかな死に顔で、―まるで眠るように―死んでいった火村。


アリスの母親が火村に近付くと、声が聞こえた。





「やっと・・・やっとアリスに逢える。」





優しくて暖かいバリトン。
アリスが生きていた頃には、いつも聞いていた声。

「ええ、そうね。」




目尻に涙を溜め、頷いたアリスの母親に、死んだ筈の火村が笑った。




手を握り締めると、まだ火村の温もりが伝わってくる。
アリスの母親は、それを自分の頬に当て、その温もりを噛み締める。





さっきまで、火村が生きていた証。





涙をこぼし唸る様に泣くアリスの母親を、アリスの父親が後ろから肩を抱いた。

「泣くんじゃない。お前が泣いてどうするんだ。」

そう言ったアリスの父親の声も、震えていた。


可憐は、今にも泣き出しそうな顔で、火村の死体をジッと見つめていた。
6歳の可憐には、余りにもショックな出来事にも関わらず、可憐はただ堪えていた。



幼いながらも、泣いちゃいけないと思っている様だ。


「・・・パパ・・・。」

消えそうなか細い声で火村を呼ぶが、火村は返事をしない。


「パパぁぁぁ。」


ボロボロと流れる涙を可憐自身はどうする事も出来ず、迷子の様に火村を呼び、泣き叫ぶ。
火村の死体に駆け寄り、ワンワンと泣く可憐。

誰も可憐を、火村から離す事が出来なかった。





可憐の髪を結った黒いリボンが、風になびいてユラユラと揺れた。















今月、有栖川家の墓には2つの遺骨が収められた。



アリスの父親はアリスを、母親は火村を抱えて・・・。