生命は巡りて2





殻に籠もろう。

一生壊れない自分だけの殻に。















自分のマンションに帰った可憐は、急いでパソコンの電源を点けた。
照明も点けない暗い部屋の中で、ディスプレイが怪しく光る。





書こう。

書こう。

書こう。


私には、小説を書くしかない。

書いて、書いて、書き続けなきゃならない。

血みどろの世界を。
狂気と混沌と謎に満ちた世界を。

それが私の殻。
唯一、私を守ってくれる殻。




走って帰って来たせいで、息は上がりマウスを持つ手が微かに震えていた。
それでも、パソコンの前にいなければならないと、かぶりつく様にディスプレイを見入る。



ピンポーン



インターホンが鳴った。
こんな夜遅く、ドアの向こうには一体誰がいるのだろう。






―――もしかして・・・あの人?






可憐は自分の予想が外れて欲しいと、切に願った。



「はい。」


『可憐?』

可憐の思った通りだった。
彼が、わざわざ後を追い掛けて来てくれていたのだ。
可憐同様息を切らしつつ、今まさにドアの前に立っている。

「・・・何故来たの?」

可憐は彼が来てくれた嬉しさと、自分への負い目を感じていた。

『話がしたくて・・・』

彼の真剣な声。
プロポーズを断られた相手であるはずの可憐を心配して、わざわざ家まで来た。
それだけ、可憐を想っていてくれている。
それは可憐にとって、喜ばしい事であったが、逆にそれを失うと思うととても怖い。

男の体から産まれた自分は、他の人間とは違う。
どうしようもないコンプレックスが、可憐にのし掛かっていた。

「帰って。お願い、帰って。」
『可憐。話だけでも・・・』

ドアの向こうにいる、一番好きな人。
こんな状況でも、可憐を見放さない優しい人。
彼に罵られる位なら、彼と一生離れてもいい。

可憐は、ただひたすら謝った。

「ごめんなさい。貴方が悪いんじゃないの。私が・・・私が・・・悪いの。貴方と結婚出来ないのは、私のせいなの。」

彼のせいではない。
自分が悪いのだと、何度も何度もドアに向かって謝り倒した。
いつの間にか、可憐の目からは涙が一粒流れ出ていた。

『可憐。』

彼の優しい声。
どんな時でも、可憐を癒やしてくれた穏やかな声。

『俺は、可憐を愛しているよ。ずっと側に居たい。だから・・・話してくれないか?』

どんな事でも受け入れるからと、―明らかに無理をして作った―明るい声で可憐に告げる。






可憐は決心した。

この人に全てを知ってもらおう。
全てを知ってもらった上で、この人と別れよう。


どうせ、いつかは分かってしまう事。



だったら、傷は浅い方がいい。



可憐は大きく深呼吸をした後、ドアを開けた。

「・・・入って。」
「お邪魔します。」

何回も彼が訪れた自分の部屋。
彼が訪れる事がもうなくなると思うと、辛く寂しい。

「どうぞ。」

可憐は珈琲を淹れ、それを―前々から可憐の部屋に置いていた―彼専用のマグカップに入れて渡した。

「・・・ありがとう。」

彼はそれを受け取ると、一口啜って―暖を取るように―両手でマグカップを持った。
可憐は、彼の向かいに座り珈琲を飲んだ。


2人の間に、気まずい空気が流れる。





「あのね・・・」



しばらくして、可憐が意を決し口を開いた。






「私、男から産まれたの。」






―――嗚呼、とうとう言ってしまった。






「勿論、冗談じゃないわ。本当よ。」




彼は一体どうするのだろう。

可憐を“化け物”と罵るのだろうか。

それとも“珍獣”として見るのだろうか。

しかし、彼はどちらでもなかった。






「・・・それで?」






首を傾げ、だからどうしたと言わんばかりの表情で可憐に質問した。

「えっ?」

可憐も予想外の反応に、動揺してしまった。

「それだけ?何だ、良かった。」

彼は微笑し、安堵した。

「・・・怖がらないの?」

可憐は、目を丸くして驚いた。

「何で?」

彼は、また首を傾げた。

「・・・新聞社にリークしようとしてない?」
「まさか。」

彼は可憐の案を笑い飛ばした。

「・・・同情ならいらないわよ。」
「しないよ、そんなモン。」

彼は満面の笑みで答えた。

「俺はもっと、絶望的な想像してた。可憐が、“私のせい”って言うからてっきり・・・」
「てっきり?」
「捨てられるのかと、思った。」

「まさか。そんな筈ないじゃない。」

可憐は慌てて、否定した。

「ありがとう。ねぇ、可憐。」

彼は、ずっと持っていたマグカップをテーブルの上に置き、その代わり可憐の両手をぎゅっと握った。

「可憐は、俺にとって一番大事な人だ。・・・結婚してくれないか?」

スーツのポケットからあの指輪を取り出し、可憐に差し出す。
可憐はそれを受け取り、にっこり笑った。





「はい。勿論。」














―――それから1年。




産婦人科の病棟を駆ける音。
次第に大きくなるその音は、ある病室の前で止まった。


205号室。


そこに入院しているのは、旧姓―今の名字は知らない―火村可憐だ。

「可憐、赤ちゃんは?」

自分の母親から連絡を受けた彼は、大事な仕事をほっぽりだし―それもどうかと思うが―可憐の病室へ直行した。
息は乱れ、肩で呼吸しているところを見ると、相当急いで来たらしい。
可憐は、そんな彼を見て苦笑した。

「産まれたわ。2人とも健康よ。」

前々から分かっていた事だったが、可憐の腹に宿っていたのは双子の男の子だった。
母子ともに健康だと確認した彼は、満面の笑みで可憐が寝ているベッドへ近付いた。

「そっか、そっか。なぁ、俺名前考えたんだけど。」
「あなた、まだ早いんじゃない?」

クスクス笑う可憐に、彼は少しムキになった様に言った。

「いいじゃないか。絶対、可憐は気に入るよ。」
「何て名前?」
「ジャーン。」

そう言うと、ジャケットのポケットから手帳のページの切れ端を取り出した。
彼特有の角張った文字で2つの名前が真ん中に書いてある。
そこに書かれている名前は、可憐が幼い頃からよく知ってる名前。


可憐は目を丸くした。
彼は、得意そうに笑う。





「“英生”と“有栖”。」





「えっ・・・。」

顔を上げ、彼の方を見る。

「良い名前だろ?」

小首を傾げ、目を細める彼。

「本気?」
「・・・駄目?」

可憐は首を横に振った。


「いいえ。良い名前だわ。」


END