黒鉛球は放物線を描く



クシャクシャに丸めた紙切れを、両手で―おにぎりを握るように―堅く固めながら歩く火村。
大学内では火村を知らない人はいない位の有名人なので、ただ歩いてるだけで周りの人間が彼に向かって振り向く。
火村は、前方に天農を見付けると、大きな声で呼んだ。


「天農。」
「んっ?」
「やる。」


そう言って、さっき出来た紙のボールを天農の方へ投げる。
片手で器用にキャッチした天農は、そのボールをしげしげと見つめた。


「ありがとう・・・って、何だコレ。」
「俺のノート。貸して欲しいって言ってただろ?」


ボール状になった紙には罫線が引かれてあり、紙を解すとズタズタに切り裂かれてはいるが、黒鉛で書かれた文字が見える。
筆跡は、確かに火村のものだ。


「火村・・・。これはノートと言わないんだ。ノート“だったもの”だと言うんだ。」
「元はノートさ。」
「それにしても酷いな。これ、どうしたんだ?」


天農は、まだノートのボールを解している。
ズタズタに切り刻まれた紙が、5・6枚クシャクシャになって出てきた。
それを重ね、皺を伸ばすように紙をいじる。


「教室に置き忘れたら、こうなってた。」
「俺のノート貸すか?」
「いや、いい。どうせ、その中身は全部覚えてる。」
「全部?」


確かこの講義は難しい事で有名で、この講義を取っている殆どの学生がレポートやテストの度に絶望の悲鳴を上げている程だ。
そんな講義のノートを捨てるという常人には有り得ない行動をし、しかも内容を全て覚えているとは。
天農は、改めて“英都大学の秀才”・火村英生の凄さに驚いた。


「ああ。」
「・・・お前のノートを切り刻む犯人の気持ちが、よく分かった。」




妬み。
怨み。
嫉妬。
身に覚えのないそれらの感情をぶつけられるのも納得がいく。



ただし、それを何らかの形で実行に移す事にはあまり感心しない。


「そりゃ、良かったな。」
「それにしても、お前恨まれてるんだな。普段どういう生活してるんだ。」
「別に。普通だと思うぜ。」
「あのなぁ。普通の生活してる奴は、ノートをゴミにさせる程恨まれないもんだぜ。」


天農は、わざと溜息を吐いた。


「ほう、初めて知った。」
「良かったな。1つ賢くなったぞ。」
「ああ。」


火村は、どうでもいいように天農に相槌を打った。
天農はそんな火村の姿を見て、心の中でまた溜息を吐いた。




















火村との会話がなくなり、ただ立ち止まっている天農の背中に、ドンッと衝撃が走った。
後ろを振り返ると、アリスが火村と天農の背中を押している。
どうやら、先程の衝撃はアリスのようだ。


「よう。火村に天農。」
「やあ、アリス。」
「よう。」


満面の笑みを浮かべるアリスにつられて、自然に火村と天農も笑顔になる。


「天農、何持ってるんや?」


目敏く、天農の手の中の“元火村ノート”を発見したアリスに、火村が口を開いた。


「どう見たって、ゴミだろう。なぁ。」
「・・・まぁな。」


確かに結論を言えばこれはゴミだが、それには明らかに人為的な行動が加えられている。
何故、その事を言わないのだろう。
天農は首を捻った。


「ふーん。」


遠くから、アリスを呼ぶ声が聞こえる。
声がする方を見ると、教室の前で4・5人がアリスに向かって手招きする。
その中の1人が、―遠目であるがおそらく―アリスのノートを高く上げている。


「あっ、待って。じゃあな、火村に天農。」


アリスが、駆け足で教室に向かう。


「ああ。じゃあな。」
「またな。」


2人は、アリスに手を振った。
アリスが教室へ入っていくのを見届けると、先程疑問に思った事を火村にぶつけた。



「なぁ、言わなくていいのか?」



「余計な心配させたくないんだ。あいつは、他人の事を自分の事以上に心配する癖がある。・・・困った奴だよ。」


そう言いつつも微笑を浮かべる火村に、天農は嬉しくなった。


「そこに惚れたんだろ。」
「そこに“も”惚れたんだよ。」
「はいはい。」


天農から自分の元ノートを奪うと、またクシャクシャに丸め近くのゴミ箱に投げ捨てた。



「ナイスシュート。」

「こんなん入っても、嬉しくないな。」





黒鉛の付いた球は放物線を描き、吸い込まれるように堕ちていった。