どれだけ「愛してる」を繰り返せば、君は堕ちてくれるんだろう。



君の為なら何回でも、

何十回でも、

何百回でも、

何千回でも、

何万回でも言ってあげるのに。







さよなら。世界で一番可哀想な男。







「アリス、帰ろうぜ。」

火村は、机の上に置いたノートや筆記用具を片付けると、隣に座っているアリスに声を掛けた。
同じように、原稿用紙を片付けていた―相変わらず講義中に小説を書いていた―アリスは、ばつの悪い顔をした。

「あー、すまん。今日は彼女と・・・」

最近出来たアリスの彼女は、アリスとお似合いの可愛らしい、雰囲気がほんわかとした娘だった。
ただ、多少独占欲が強いらしく、彼女が出来てから火村とアリスは酒を飲む事はおろか、一緒に帰ることもままならない。
最初の頃はアリスといる時間が少なくなってイライラしていたが、今ではもう馴れた。

「またか?」
「うん。悪い、火村。じゃあな。」

バタバタと慌てて教室を出ていったアリスを見送る火村。

「・・・じゃあな、アリス。」

既に教室にいないアリスに別れの挨拶をすると、火村も教室から出ていった。





廊下に出ると、天農に声を掛けられた。
どうやら、天農は隣の教室で講義だったようだ。
天農の後ろで、担当の助教授がダルそうに出ていくのが見える。

「1人とは珍しいな。有栖川は?」
「彼女と下校デート。」

中学生でもあるまいし“下校デート”はないだろう。
天農も苦笑するしかない。

「それはそれは。残念だったな、火村。」
「まあな。」

火村は、アリスが通ったであろう廊下を名残惜しそうに見つめていた。
天農はその火村の姿を見て、ただ同情するしかなかった。





叶わぬ恋。
いや、“叶わないと決めつけている恋”と言った方が正しい。

何のアプローチもせず、ただ見てるだけの恋だなんて思春期の乙女じゃあるまいしと天農は思っているが、それと同時にやはりリスクが高い恋だと分かってもいる。
下手すれば、アリスと火村両方に消えない傷を負ってしまう。



それを火村は重々理解していた。


まだ廊下を見つめる火村に、天農は声を掛けた。

「・・・俺さ、やっぱり美大に行く事にしたよ。」

ふと、我に返った火村は口の端だけを上げて笑った。

「そうか。頑張れよ。」
「ありがとう。」

天農は、背伸びを1つすると火村の方を見ながら言った。

「有栖川にも言わないとなー。」
「アリスは、送別会とか計画しそうだな。」
「男3人で?」





「「気持ち悪ぃ。」」





偶然にも揃った声に2人は可笑しくなって、また笑った。





帰り道が同じだったので、火村と天農は一緒に帰った。
夕焼けが綺麗なオレンジ色をしていて、どうせなら3人で歩きたかった、と2人とも心の中で―口に出すほど寒い事はしなかった―思った。
2人が分かれる道の前で、急に天農は立ち止まる。


「火村。」


数歩先にいた火村が後ろを振り返ると、天農は至極真剣な顔をして低い声で言った。




「俺はお前が心配だよ。」




「何言ってるんだ。心配するなら、講義中に小説書いてるアリスを・・・」

笑みをこぼす火村に、首を横に振る。






「そうじゃない。」






「このままだと、お前いつか壊れるぜ。」



「・・・知ってる。」

火村の笑みが消えた。

「なら・・・」

“行動しろよ”と言いかけた瞬間、火村が口を開く。

「アリスは俺の気持ちに気付かずに、近い未来俺の知らない女と結婚するんだ。もちろん、小説家になってな。
普通の家庭を持って、子供を作って普通に暮らして死んでいく。・・・それが、あいつの幸せだよ。」






嗚呼。






「俺はそれに邪魔する事はしない。」






嗚呼。
何て情けない。

火村は、もう失恋する覚悟をしている。
他人がとやかく言う状況じゃないんだ。
俺は、邪魔者にもキューピッドにもなれない。


ただここで、傍観するしかないんだ。






いや、それももう出来ない。

「お前は?お前はどうするんだ?」

答えは分かり切っていたが、聞かずにはいられない。

「生涯を掛けて、ただ一人だけを愛して死んでいく。それが俺の理想だ。」
「格好つけんなよ。」
「最後くらい格好つけさせろよ。」

「お前、馬鹿じゃねえの。」



「・・・それも知ってる。」





夕焼けがあまりにも綺麗すぎて、

火村があまりにも可哀想すぎて、

自分があまりにも無力すぎて、



泣きたくなった。



もう、俺は何もしてやれない。
ごめんな、火村。





1週間後、天農は英都大学を去った。


たった1つ、心残りを残して―――。










どれだけ「愛してる」を繰り返せば、君は堕ちてくれるんだろう。



君の為なら何回でも、

何十回でも、

何百回でも、

何千回でも、

何万回でも言ってあげるのに。





でも、君はそんな言葉を欲しがってない。





欲しがってないんだ。