許し



友人と行くのだから何も起きない、おそらく大丈夫だろうと、高をくくっていた。
3時限目が終わり、廊下を歩いていると火村の家に行こうととんでもない提案をした―本人は何も分からないのだから仕方ないのだが―友人が、向こうから走ってきた。
どうやら、アリスを探していたようだ。


「あっ、有栖川。こんな所におったんか。」
「おう、何や。」


この友人のせいで加害者と会わなくてはならなくなったアリスは、少し不機嫌そうな低い声で友人に問う。


「すまん。」


友人はアリスの前で両手を合わせ、頭を下げた。


「何が?」
「急にバイト入ったんや。だから、お前1人で火村の様子見に行ってくれへんか?」
「はあ?」


アリスは、驚くしかなかった。
友人が同行するから安心していたのに、その友人が来れなくなるとは一体どういう事だ。
だが、それを友人に告げる事など出来ず、ただ呆然と立ち尽くす。


「ちゃんと、火村に差し入れ買ったからさ。なっ?」


そう言って、友人は半透明のビニール袋を差し出した。
中には、パンや栄養ドリンクが大量に入っている。





「・・・分かったわ。」





―――俺は、今何と言った?





自分自身が発した言葉に、また戸惑うアリス。

何故、自ら火村の元に行こうとする?


何で?
どうして?

分からない。

分からない。

分からない。



頭の中がグルグルと渦を巻く。


「本当にすまんな。じゃあな。」


友人はアリスの様子がおかしい事に気付かず、何度もペコペコと頭を下げて去っていった。
友人が見えなくなってからも、アリスはその場にずっと立っていた。







―――もしかして、俺は火村を許している?







だから、火村の家に1人で行っても良いと思った?



でも、火村は俺を・・・
親友の俺を犯そうとしたのに・・・


自分の本心が分からなくなったアリスは、辿り着いた1つの可能性に必死に抵抗した。














見慣れた道を進むと、やはりそこには見慣れた火村の下宿が見えた。


「こんにちは。」


ガラリと戸を開けると、篠宮夫人が出迎えてくれた。
久しぶりに会った彼女は、いつものように上品に微笑む。


「あら、有栖川さんいらっしゃい。火村さんなら部屋に居てますよ。」
「・・・ありがとう、婆ちゃん。」


自分は夫人に対して、上手く笑えていただろうか。
気にはなるが、今はそれどころでない。





2階に上がり、1週間ぶりに火村の部屋のドアをノックする。
息はやや乱れ、肩が微かに上下しているのが自分でも分かる。



「はい。」
「俺や。」


カラカラの喉の奥から絞り出した3文字は、火村を驚かすには十分だった。


「アリス?」
「差し入れ。」


友人から渡されたビニール袋を、ズイッと火村の胸に押し当てる。
火村は、まだ鳩が豆鉄砲をくらったような顔をしている。


「ありがとう。」
「早く、大学来いよ。皆心配してる。」


怖くて火村と目が合わせられないアリスは、ただそれだけ言って帰ろうとしていた。
が、途中で火村に腕を掴まれ、出来なくなってしまった。


「そうか。・・・アリスは?」
「へっ?」
「アリスは?」
「何言っ・・・」


ふと顔を見上げると、火村の端正な顔が見える。
今にも泣き出しそうな顔。







―――その後ろには“あの日”と同じ散乱した火村の部屋。






突然アリスはしゃがみ込み、頭を抱えブルブルと震える。
尋常じゃない程のアリスの怯え。
呼吸音が荒くなり、パニックに陥る。


「アリス?」


火村が手を差し伸べようとすると、その手を振り払い拒絶する。


「来るな。来るな。来るな!!」







―――やはり、自分の考えは間違いだった。






―――俺は君を許せてはいない。