「・・・さようなら、アリス。」








アリスは、振り返る事のないまま下宿から出て行った。
アリスが見えなくなった後も、火村は唇を噛み締め、階段を見つめていた。












枯れ葉一枚











部屋に戻ると、散らかった光景が嫌でも目に入った。
自分に対しての戒めが、アリスを苦しめた事に酷く自己嫌悪する。
だが、片付けようとは思わなかった。
自分のした事が帳消しになるわけじゃないし、ここに来て怯える愛しいあの人は二度とこの部屋には現れない。



ならば、このままにして自分を責め続ければいい。


この忌まわしい思い出の中に、ずっと沈んでいればいい。






ジッと机の上を見つめていると、今までにはなかった酷い吐き気がしてきた。
口を押さえつつ急いでトイレに駆け込み、便座に頭を突っ込む。



途切れ途切れの嗚咽と止まらない反吐。
独特の臭いが鼻につき、それだけで不快感が増す。
目には涙を浮かべ、便器を握る手は小刻みに震えていた。



苦しい。

苦しい。

苦しい。



それでも、嘔吐は止まらない。
胃の中が空になるくらい吐き続け、吐き終わった後には肩で息をしなければならない程だった。
口の中には、胃液の味がじんわり残っている。
台所で水を一杯飲み、絶え絶えの息を整えた。





火村は、机を背に座り煙草に火を点けた。
フィルタから、肺に目一杯有害物質を取り入れる。
今日は、何時もよりやけに煙草が不味い。
そりゃあ、嘔吐した後に上手いわけもないのだが。
蛍光灯が点いていない薄暗い部屋で、紫煙が上った。



自分も、この紫煙のように消えたら良いのにと、ぼんやりと見つめた。










どれくらい経っただろう。
長かった煙草が半分灰になっている。
煙草を机の上の灰皿でもみ消した。








窓の外で、風の音と枯れ葉が擦れる音が聞こえる。






―――多分、俺の生命の重さは枯れ葉一枚の重さもないだろう。






そう自嘲の笑みを浮かべ、また新しい煙草に手を伸ばした。