別離
アリスは、火村の下宿の前にいた。
火村に会いたい一心でここまで来たのは良いが、その先に行く勇気がない。
見上げると、火村の部屋の窓が開いておりカーテンがユラユラとなびいている。
自分が作り上げてしまった関係への気まずさと、恋する乙女の様な行動が相反して何とも言えぬ気分になってきた。
部屋の窓をジッと見つめ、火村の姿を待つ。
端から見たら何とも怪しいが、そんな事に構っている余裕はなかった。
しばらく火村の姿を待っていたが、ある事に気付いた。
気付いた途端肩を落とし、自分の頭の悪さを恨んだ。
「阿呆ちゃうか、俺。」
この位置なら、窓の外から火村を捉える事は簡単だろう。
だが、窓の外から内が見えるという事は、窓の内から外も見えるという事である。
自分から別れを切り出した手前、見られる事は避けたい。
―今日は帰ろう。
アリスが、きびすを返して来た道を戻ろうとすると、猫の鳴き声が聞こえた。
威嚇に近い鳴き声は、何故かアリスを不安にさせた。
火村か、篠宮夫人か、違う下宿人か、それは分からないがこれだけ猫が叫んでいるのだ。
ただ事じゃない。
「ごめんください。」
ガラリと下宿のドアを開け、猫が泣く方へと向かう。
だんだん声が近くなるにつれ、アリスの手は汗ばむ。
猫の鳴き声も、誰かを呼ぶ悲鳴に聞こえてきた。
黒い猫が視界に入る。
おそらく野良猫だろう。
毛を逆立て、何かに向かって威嚇していた。
「火村!?」
そこには、床にうつ伏せに倒れる火村。
顔面蒼白で、手首からは鮮やかな鮮血が流れ出て木目の床を塗っていく。
「火村!おい、しっかりしろ!!火村。火村。」
アリスはパニックになり、火村の身体を揺さぶるが、返事はない。
ただ荒い息遣いだけが、聞こえる。
救急車を呼びに、下宿の黒電話へと駆けるアリス。
アリスがいない間も、火村の周りには紅い海が増えていく。
―――そのまま、溺れ死んでしまえそうだった。