「俺が阿呆みたいやんか。」


床にしゃがみ込むと、丁度膝のあたりに火村が流した乾いた血が広がっていた。


「火村・・・。」


便箋を胸に握り締め、一人泣き続ける。





嗚咽から途切れ途切れに火村を呼ぶ声に、誰も答えなかった。









last









壁も床も真っ白な部屋。
白いカーテンが風になびき、静かに揺れる。
部屋の主はベッドの上に横たわったまま、動こうとはしない。
身体のあちこちに管を取り付けられた彼にアリスは近付く。


「火村。」


処置が早く適切に済んだおかげで一命は取り留めたのだが、意識が戻らずアリスは学校と病院の行き来を繰り返していた。
それも今日で、7日目になる。
入院生活に必要な物を揃えようと、火村の下宿に行ったらあの手紙を見つけた。
それまでに何度かあの部屋を訪れてはいたが、手紙が目に入るほどアリス自身冷静な状態ではなかった。


「手紙読んだよ。お前阿呆やな。」


鞄の中から大事そうに取り出すと、火村の目の前でそれを軽く揺らした。


「俺も阿呆やったけど、お前は数段上や。」


ベッド脇の椅子に腰を下ろし、火村の顔をジッと見つめる。
火村の穏やかな顔が、アリスをより不安にさせた。
このまま、永遠に彼の目が開かないんじゃないかとネガティブな事を思ってしまう。


「こんな手紙貰って、俺がどう思うかも分かってへん。」


頬をなぞってみれば、あたたかい温もりが手に伝わる。
生きている証拠に少しだけ安堵する。


「君は死ぬ事を簡単に選び過ぎる。」


諭すように優しく語っても、返事がない。
それでも、アリスは言葉を続けた。




「俺みたいな男に・・・勿体無いやろ・・・。」




また目頭が熱くなり、指で拭えども拭えども涙が止まることはなかった。


「好きや、火村。なぁ・・・これ、本当だったら自分の口で言って。」


手紙をズイと目の前に置きいくら強請っても、彼は口を開かない。
アリスは布団から出ている手をギュッと握り締めた。
手には、ポタポタとアリスの流した滴が垂れる。




「聞きたい。火村の声で聞きたいんや。なあ、火村。火村。」




さらに力を込めると、微かに中の手が動いたのが分かった。








「・・・アリ・・・ス。」








その一言でアリスの心は歓喜で満ち溢れ、思わず火村に飛びついてしまった。
その衝撃で点滴の管が勢い良く揺れる。


「アリス?」


意識を取り戻した火村には、何が何だか分からない。
地獄へ向かおうと手首を切ったはずなのに、目覚めたら愛しい人の温かい腕の中だ。
アリスの少し長めの髪が、ちょうど頬に当たり妙にくすぐったい。


「火村・・・良かった・・・火村・・・。」


“火村”と“良かった”を繰り返すアリスに、自然と笑みが零れる。
拒絶されていたアリスに心配される事に―不謹慎だが―喜びを感じていた。


「なあ、アリス。ここは天国か?」

「何言ってるんや。病院じゃ、阿呆。」




火村は心の中で賛美歌を歌った。

嗚呼、何時ぶりだろう。
こんな軽口を交わし、笑い合ったのは随分昔の様に思える。
二人の間に、変わらない空気が漂う。
ふと、布団の上を見るとアリスに宛てた手紙が置いてあった。
自分の血で封筒の一部が汚れている。


「・・・手紙、読んだのか。」

「読んだ。」

「それでだな、その・・・。」





また嫌われる。
“気持ち悪い”“寒気がする”“迷惑だ”と罵られる。
もうあんな思いをしたくないと、言い訳をしようとするが言葉が出てこない。
口ごもる火村。


すると、アリスが火村の言葉を遮った。




「君の声で聞きたい。」




「アリス?」

「君の声で聞いたら、俺は」










―――喜んで君のものになるよ。









アリスは照れながら、身体を屈め火村に耳打ちした。

「っ、アリス。」

「だから言って、火村。俺聞きたい。」

「ああ、お前にはかなわないな。」


口元だけに微笑みを残し、側にあったアリスの腕を掴み自分の方へ引いた。
先程アリスがしたように、耳に唇を近付け囁いた。





「アリス。」





火村の心地よいバリトンが、甘く脳内を支配する。
吃驚して火村から離れようとするが、再度腕を引かれた。










「愛してる。」