I'm tired







火村組組長の病室で、涙を流しながら土下座をする男がいた。
森下恵一。
火村とアリスが真壁組に殺された現場に居会わせた、火村直属の部下である。


「俺の責任です。申し訳ありません。」

「謝ったところで、若が帰って来るわけじゃない。頭を上げろ、森下。」


そう言って鮫山が森下に立つよう促すが、森下はそれを振り払いさらに頭を床に付けた。


「しかし・・・俺は、俺は、」


言葉が上手く出ない森下に、何を言っても言う事を聞かないだろう、と鮫山は立たせるのを諦めた。
その代わり、森下を落ち着かせる為にどこかへ運ぶよう部下に命じる。
二人のやり取りを見ながら、この病室の主は眉を潜めた。


「英生が死んだって本当か。」

「ええ。真壁組に殺られたようです。」

「真壁組が?それは本当なんだろうな。」


自分の息子と真壁組の間にいざこざがあったのは知っていた。
しかし個人的な悶着だと思い、見て見ぬ振りをし続けていたのだ。
息子の喧嘩に親が出るなんて馬鹿げているし、相手は義兄弟の真壁組なのでそう酷い事にもならないと踏んでいた。


「森下が一部始終見ています。間違いないでしょう。」

「何だってまた・・・。おい、俺が居ない間に何があった。」


鮫山の冷静な声に自分もいつも以上に冷静になり、八つ当たりする気も失くした。


「話すと長くなりますが、どうなさいますか。」

「最初から話して、最後で止めろ。」


つまらない冗談でも言っていないと、心臓が潰されてしまいそうだ。
人生の半分も生きていない息子を、こんな形で失うなんて思っても見なかった。
まだ土下座の体勢を崩さない森下の頭部を見ながら、深く息を吸う。


「分かりました。」


鮫山は、自分の知りえる情報を全て組長に教えた。
そこに自分の感情は入っておらず、ただ正確に客観的に述べていく。
その間、彼は親指の腹を噛んで何か考えていた。










鮫山が話し終わると、軽い溜息を吐く。


「成程な。」

「どうかしましたか?」

「なあ、鮫山。真壁の書いた手紙を一つ持って来てくれないか。」

「どうするんですか?」

「いいから、早く。」


そんな事を言われても、ここにそんな物は何もない。
仕方なく部下に真壁の書いたものを取りに行かせる。
しばらくして部下が戻り、真壁の書いた手紙を持って来た。
鮫山から渡されたそれを、組長はジッと見る。


「やっぱり。」

「何がですか。」

「見ろ。この癖字を。」


そこには、何の変哲のない真壁独特の文字が並んであった。
鮫山は、上司の言っている意味が分からず首を捻る。


「それがどうかしました?」

「あいつと杯を交わした時、あいつの字は奇麗な文字だった。まるで習字を習った様にな。」


火村組の中で、真壁が直に文字を書いているところを間近で見たのは彼以外いない。
義兄弟の盃を交わす際、いつものように代筆させる馬鹿はどこにもいないからだ。


「だが、この通り真壁からの手紙は汚くて癖字だ。これがどういう事か分かるか。」

「つまり、この手紙は他の人間が書いた物、という事ですか。」

「もしくは、俺の記憶がおかしいかだ。」


ニヤリと意地悪く笑うと、鮫山が淡々と言う。


「貴方の記憶を疑う者は、この組にはいませんよ。」

「そうか?」

「ええ。」


鮫山が頷くと、スッと組長の顔から笑みが消えた。
真剣な目で、真壁の書いた手紙を見る。
その顔には憐れみさえ感じられた。


「真壁も嵌められたんだな。」

「でも、誰に?」

「決まってるだろう。片桐だよ、片桐。」

「片桐が?まさか。」


片桐は、真壁の側近中の側近だ。
彼が真壁を裏切るなんて信じられない。
組長は苦笑を浮かべる。
おそらく、片桐の顔を思い出しているのだろう。


「目を見れば分かる。アイツは、真壁を憎んでたからな。」

「気付かなかった。」


真壁組と義兄弟になってから、よく真壁組に訪ねているのにちっとも分からなかった。
自分の観察力のなさに、ひたすら落ち込む。


「お前さんが、情報ばかりに気を取られてるからだよ。」


まあ、元情報屋だから仕方ないな、と口元だけ笑う組長。
目は、依然憐みの色を写している。


「俺の想像だが、多分・・・」

「多分?」


次の言葉を飲み込んで、首を横に振る。


「いや、何でもねえ。」


縁起でもない。
想像するだけでも、悪い気が移りそうだ。


「さて、馬鹿息子共の為に葬儀屋に連絡しとくか。」


ベッドから起き出そうとする組長を、鮫山が片手で止める。


「その準備はもう奥様と私でしています。」

「流石、早いな鮫やん。」

「若と有栖川さんには、何も出来ませんでしたから。これくらいはして差し上げないと。」


組長に褒められても、苦笑いしか出てこない。



窓の外を見る。
空は晴れ渡り、雲一つない。
こんなに心は沈んでいるのに、空だけは明るくて何も変わらない。


「一度、息子が惚れた相手にも会いたかったなあ。」


ぽつりと零した独り言に、鮫山は何も言えなかった。


「なあ、鮫やん。」

「はい。」

「疲れたな。」

「ええ、そうですね。」








人が二人死んでも、空は何も変わらない。



空がだんだん憎たらしく思えてきた。