愛が重い日






「お邪魔します。」


アリスは、火村の下宿先の戸をガラリと開けた。
だが、いつも出迎えてくれる篠宮夫人も火村の姿も見えない。
扉が開いているとは不用心だな、と思いつつ廊下を進む。


「火村?居ないのか?」


火村に呼ばれたからわざわざ大阪から来たというのに、肝心の人がいない。
アリスは家中に響く声で、下宿人の名前を呼んだ。
名前を呼びながら火村の部屋まで進むと、カチャカチャと物がぶつかる音が聞こえた。
火村の部屋のドアは開きっぱなしで、アリスはそこから顔を出す。


「おい、火村。・・・何だ、居るなら返事くらいしてくれてもええやろ。」


火村は台所に立って、盛大に金属音を鳴らしている。
どうやら、何かを作っているようだ。
集中し過ぎて、アリスの声が聞こえないらしい。
よく耳を澄ますと、火村のノリノリの鼻歌が小さく聞こえる。


「火村?火村?おーい。」

「あっ、アリス!」


台所に立つ火村に近付き、尚も名前を呼ぶアリス。
火村が気付いた時には、アリスと火村の間の距離は30cmもなかった。


「何や、一体そんなに何を驚いて・・・」


アリスが火村の手元を覗くと、そこには家庭用とは思えない大きなボウルが見えた。
そのボウルの中には、おそらく1.5ダース分くらい入れないと存在しない程の溶けたチョコレートがあった。


「火村何それ?」

「何って、バレンタインのチョコレート。」


淡々と当然のように答える火村に、アリスは眩暈を覚えた。


「君は、そんなに義理固い人やったっけ?」

「何を言ってるんだ。これは全部アリス用だ。」


ああ、やっぱりと次第に憂鬱になっていくアリス。
思わず目を覆いたくなるこの状況を誰か変えてくれないか、と少し現実逃避してしまいそうだった。
しかし、待っているのは酷いくらいに厳しい現実である。


「こんなに喰えると思ってるのか?」

「大丈夫。甘さ控えめにしてるし、味も3種類あるぞ。」


そう言って、火村は冷蔵庫から金属製のこれまた大きなトレイを2枚取り出して、アリスに見せた。


「これが普通ので、これがホワイト、でこれが抹茶チョコだ。」


白いボール状のチョコレートと緑色のボール状のチョコレートが、それぞれ1枚のトレイに奇麗にびっしり並べられている。
どうやら、今作っているのが火村の言う普通のチョコレートらしい。

「ちゃんとラッピングして渡すから、待ってろよ。」

「ああ、ありがとう。嬉しいよ。」


もしかして、ラッピングというのはこのファンシーなピンクのお歳暮サイズの箱の事を言っているのだろうか。
あれは、チョコじゃなくてハムを贈るサイズだ。
買い物袋からチラリと見えたあの赤いリボンも、もしかして火村が自分で巻くのだろうか。
そして、またしてもチラリと見えたあのハート型のカードも添えられたりするんだろうか。


「いっぱい作ったから沢山食べろよ。」


火村の満面の笑顔とは裏腹に、アリスの心は急降下していた。


「うん・・・そうする・・・。」






愛とは重い物だな、と一人項垂れるアリスであった。