after




有栖川は、伯友社の応接室にいた。
テーブルの向かいに座るのは、有栖川の担当編集者の片桐。
捜査に協力してくれた片桐に、赤星が殺された事件の真相を細かに説明しているところだった。
応接室で真剣に耳を傾ける片桐。
有栖川の報告を聴いている間、片桐の手が微かに震えていた事に、有栖川は気が付かなかった。

泣くな。

喚くな。

片桐は、有栖川に気付かれないように奥歯を力一杯噛み締めた。
自分と赤星は、作家と編集者だが別段これといった接点はない。
赤星の担当でもなければ、特別親しかったわけでもない。
会えば挨拶を交わす程度だが、二人きりで一緒に飲みに行った事はない位の微妙な間柄。
周囲には、そういう事にしておいた。
男同士の恋愛だ。
周りに気付かれない方が何かといい。自分はともかく、死んだ赤星にまで迷惑は掛けられない。
二人で結んだ最後の約束を、ここで破るわけにはいかない。
段々、手の震えが大きくなっていく気がした。


「どうかしましたか?」


片桐の様子がおかしい事に、気付いた有栖川。


「いいえ、何でも。」


首を振る片桐の声が、微かに震える。


「僕、ちょっとトイレに行ってきますね。」


 応接室から足早に駆け出す片桐に、有栖川は呑気に、いってらっしゃいと、声を掛けた。







赤星が旅に出る数日前、赤星は恋人である片桐のマンションにいた。
二人にとって久しぶりの逢瀬に、片桐は心が弾んでいた。
片桐が作った夕食を食べ、ソファに並んで座って食後の珈琲を啜っている。
恋人と過ごす幸せな時間。こんなに幸せな時間があってもいいのだろうか。
片桐が赤星の手にそっと手を重ねると、気付いた赤星がぎゅっと片桐の手を握って悪戯そうな顔で笑う。


「そう言えば先週の木曜だったかな、穴吹社長と一緒に飯を食べたんだ。」

「また、あの社長とですか?」


片桐は、不機嫌そうに赤星を睨む。
ここ最近、赤星はシレーヌの社長と食事に行く機会が多い気がする。
お互いの家で逢瀬を交わす事が多い二人は、あまり二人きりで外出する事は殆どない。
穴吹社長はズルい、と口に出さずとも思わずにはいられない。


「妬いてるのか?」

「別に。」


意地の悪い顔で笑う赤星。
片桐は、赤星に顔を背けて唇を突き出した。


「安心してくれ。俺の恋愛対象に入るには、ちょっと年配過ぎる。」

「怒られますよ。」


赤星は、腕を伸ばし片桐の頬を撫でる。
片桐がその腕に苛つき、赤星の手を払う。
半ば強引に赤星の方へ振り向かされると、赤星は満足そうににっこりと笑った。


「内緒な。」

「勿論です。」


片桐は、小さく溜息を吐く。


「彼女は……そうだな。もっと怒られそうだが、母親に似てる。」

「えっ?」

「勿論、俺の母親はあんなに美人ってわけじゃない。だが、彼女はどこか懐かしくて安心出来るんだ。大袈裟だが、彼女が第二の母親なんだよ。」


照れくさそうに、はにかんだ赤星に片桐は仕方ないなと苦笑いする。


「お母様に会うのは構いませんが、ちゃんと恋人も構ってくださいね。」

「やっぱり妬いてるんじゃないか。」

「そりゃあ、ちょっとは。」


赤星は柔らかい顔で笑う。
片桐も、赤星の笑顔につられて笑う。


「おいで。」


手を広げる赤星目掛けて、勢い良く飛び込む。
ソファのスプリングが一段と大きな音を立てて、赤星の腕の中へと飛び込んだ。


「ふふふ。やだ、赤星さんくすぐったい。」


赤星の手が、片桐の顔を愛おしげにゆっくりと撫でていく。
声をあげて笑う片桐に、赤星は恍惚な顔で呟く。


「君は、笑ってる顔が一番可愛い。」


赤星は、片桐の唇に自分の唇をそっと重ねる。

赤星とのキスは、苦い珈琲の味がした。







片桐は、なるべく人が来ない場所にあるトイレの個室で声を殺して泣いていた。
こんな時でも冷静に行動出来る自分を、心のどこかで嘲笑いながらシャツの袖で涙を拭う。





「ごめんなさい。学さん………ごめんなさい。」





呟いた懺悔は、誰にも聞かれずに床に落ちて粉々に砕けた。





真実は、片桐の内臓で未だにこびり付いて離れないでいる。